お嬢様…  大口開けて…  お笑いになるのは…  いかがなものデショ? こんな同盟がありますよ。                      会員番号13番です!  

忙しい日々の中、
ちょっとした息抜きのひとときです。
ワイヤーフォックステリア・『トトやん』も登場!
我が家の『お嬢様』です。


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4月28日、土曜日
(5月10日に書いています)
夫とニーちゃんは火曜日につくばへ帰っていった。
私は今日帰ります。

そもそも、このブログを始めたのは1年前。
母の再発がはっきりする前だった。

『肝内胆管がん』というがんの中でも
ちょっとだけ珍しく、
再発率は高く、生存率もとても低かった。

わかったときから、ネットでの知識収集がはじまった。
ネットのある時代でよかった。

?と思った時にすぐに知りたいことが調べられる。

再発がはっきりしたら、本人にもそれは知らされる。
がっかりする前に
何とか1泊でも旅行につれて行きたかった。
そのために
カメラを買った。

少しでも笑顔の母を残してやりたかった。
心の中には、
「私はお母さんの死ぬための準備をしているの?」という
苦しいものもあった。
でも…わたしにできることだと。

とった写真や
離れているつくばの様子、
とりとめのない生活の話題を共有するために
ブログを始めた。

始めてみたら…
私と母だけのブログではなく
ネット上のお友達までできてしまった。
なんとうれしいことでしょう。

そんな話も母とできました。
母もちょっとだけですが
へぇ〜とかふ〜んとか、画面を楽しんでくれました。

病室でネットをつなげることができ、
ニーちゃんの学校のHPから
合唱の歌声や修学旅行の写真や校技(ラグビー)大会の写真を
見ることができました。
看護師さんとも
「若い歌声っていいわぁ〜」と楽しい時を過ごしました。

撮った写真は行く度に壁に貼り
壁は写真館のようになりました。
看護師さんからは
「また増えましたね?
 楽しいわぁ。癒されますぅ!」と言っていただけました。

病は苦しいけれど…

苦しさだけでなく、いろいろな楽しみも与えてくれました。

いつもは羽田からの最終リムジンに間に合うように
遅い飛行機でしたが、
今日はすこし余裕で帰りますね。



* 母とがん * comments(0) * trackbacks(0) * 10:57 *
4月25日、水曜日
母の入院していた病院へ入院費の精算ついでに
病棟へご挨拶に行きました。

忙しい主治医の先生にもお会いすることができ
ひとしきりお話させていだだきました。
とっても若い先生ですが、
なかなか後輩ができないんですとこぼしてらっしゃいました。
「普段はボクは無口なんですよ。」と
おしゃってましたが、いろんなお話していただけました。
家族のケアまでありがとうございました。

看護師のみなさんは激務の中、
本当に優しく、丁寧にお世話していただきました。
言葉かけもほんとうに心がこもっていて、
感謝しても感謝しきれない程です。

また空港を降りるとき、
ふらっと歩いて行ってしまうかもしれません。

隣接の訪問看護センターにも行きました。
週に1回の訪問でした。
最初は見知らぬ人が訪問することに抵抗がありましたが、
慣れてきて、だんだん楽しみにしていたようです。
「私たちも訪問が癒されていたんですよ」と言っていただけました。
「いつも遠慮深くて…」
…そうなんですよね。気をつかうんです。
でも、家族にとってもこの訪問看護は心配の連続のなか
支えでありました。
訪問看護とホスピスの連携があるからこそ、
スムーズな入院のタイミングと、顔見知りの皆さんの出迎えがあったので
母の不安が少しでも解消されたことだと思います。

そしてがんセンターにもご挨拶へ。
なんといっても手術できなければ、もっと早かったかもしれません。
困難な手術をよくして下さったことだと感謝しております。
がんセンターでなければ手術もできなかったのではないかと思います。
転院の際に写真をお借りしておりましたので、
一応、消化器外科病棟へ。
つい1年半まえに入院していたのに…一人も顔見知りの看護師さんがいらっしゃいませんでした。
もちろん、担当の先生は今日も手術でした。
ものすごい毎日です。
でも、家族のがんとつきあってみて思いましたが、
治療は専門病院で良かったです。
病院全体が同じ…ということは、一つの救いでありました。
患者どおし、家族どおしもお互いにお互いのことを思いやれました。

ヘルパーさんやケアマネージャーの方にも大変お世話になりました。
この手助けがなければ安心して在宅療養ができなかったことでしょう。
ご挨拶したかったのですが
「お電話いただいただけで、どうぞお気遣いなく…」と言っていただきました。
お世話になりました。

最前線の治療と在宅療養、そして緩和ケアと末期医療…ひとつの選択ではありましたが、
これで良かったと思っています。

* 母とがん * comments(0) * trackbacks(0) * 11:43 *
4月23日、月曜日
(5月10日に書いています)

仕事帰りに従兄弟が寄ってくれた。
これから、何かあった時に
すぐに連絡がとれるようにと
携帯の番号とアドレスを渡しにきてくれた。

その時、先週の火曜日にお見舞いに行ってくれた時の
話をしてくれた。
どうやら、母の元に父が来ていたらしいです(笑)

それと…こんな話をしてくれました。

人には生まれて来るときに、『課題』というか『宿題』というか、
そんなものを与えられていると思うとよ。
だけんね、
その『課題』をまっとうしたときに、人は命が終わり、
天国に呼ばれるとよ。

おじちゃんもおばちゃんも早いっちゃ、早いけど、
ぼくはね、
おじちゃんもおばちゃんもその『課題』をまっとうしたと
思うとよね。

だけんね、年齢とか関係なく天国への順番は変わるとよね。


そうかもしれん。
母は『課題』とやらに一生かけてとりくみ
不平も不満も言わず、
とりくみ続けた。

まっとうしたとやろうか?

私に与えられた課題は何やろ?
できれば見て見ぬふりしたいような課題もある。
自分自身のこともある。
家族のこともある。

いっぱいやな〜

でも、逃げ出すわけにはいかんもんな。
考えてみると
人の一生なんて
短い。
課題を仕上げなくては。

* 母とがん * comments(0) * trackbacks(0) * 10:27 *
4月21日、土曜日
お葬式では
母が生前参加していたコーラスのお友達がたくさん来てくださいました。
病院で主治医の先生が決めた応援歌の
「見上げてごらん、夜の星を」を歌ってくださいました。

本当は別の曲を用意してきて下さっていたようなのですが、
本番(笑)では、変わっていました。
急なことなので、こんなにたくさんの方に来ていただけるとは思ってもいませんでした。
出棺の際にもずっとハミングをして送り出して下さいました。
よかったね。
「こんなこと、していただけるなんて、思ってもみませんでした。」と
恐縮しているお母さんの声が聞こえてきたよ。

でも、いいお式だったね。

初七日供養まで終わらせた。
筑前国分寺の先生から供養が終わったあとに
「残されてた皆さんは、一日も早く日常の生活に戻ってください。
 きっと、お母様もそれを望んでおられます。
 悲しみは続きますが、そればかりにとらわれていると
 ご自身の健康を害します。
 どうぞそれぞれの生活にはやくお戻り下さい。」と。

…そうかもしれない。

* 母とがん * comments(0) * trackbacks(0) * 11:33 *
4月20日、金曜日
4月の初め頃、
「家に帰ろうかね」と言ってました。
私には言えなかったらしい…
「帰ろうかと思って電話しようと思いよったと。
 おおごとにせんでもいいけん…」
と義妹に言ってたらしい。

ようやく家に連れて帰ることができました。
ようやく帰ってこれたね。
もう少し元気な日があるかと…
外出くらい、外泊くらいできるかと思ったよ。
3時に筑前国分寺の母の好きな先生が来てくれました。
よかったね。
突然の知らせに先生もビックリされていた。

5時には母とともに斎場へ。
忙しいね。ごめんね。

20日(金)はニーちゃんは『裁判所見学』でした。
すでに東京へ出かけてしまった後だったので、
裁判見学が終わり次第、夫と合流してこちらに向かいます。

トっちゃんは、近所の獣医さんにお願いしました。
かまってやれないので仕方ありません。
トっちゃんも何事かと驚いていることでしょう。

ばたばたと段取りしますが、丸二日寝てないのと
今日は一日何も口に入れてないのとで
頭の芯が働きません。

7時に通夜が始まりました。
喪服は間に合わなくて…私は普段着です。
コーデュロイのパンツにスニーカー…
なんちゅうことでしょう。

わかってはいたけれど、
黒い服を病院には持って行くことができませんでした。
恥ずかしいけれど仕方ありません。
親戚の叔母さんにとりあえず黒いセーターを借りました。

通夜の式の途中で夫とニーちゃんが間に合いました。

暦を気にしなければ、一晩くらい、お父さんの時のように
お家で過ごせたんだけどね…
でも…お母さん、気にする人だもんね。
でも…きっと、「いそいでね」ってことだよね。

病室の壁を埋めていた写真を斎場にも展示しました。
お見舞いをお断りしていましたから、
闘病生活の中でも笑顔の母に会ってもらえました。
皆さんから
「お幸せだったんですね」と声をかけてもらった。

幸せだった?
今となってはもう返事は聞けないけれど、
どうなんだろうね?
「なんでやろ?」って不本意だったよね。

私の前では病気のことを悔やんだり
「言い残すこと」なんて
それこそ聞けなかったけれど…
言葉を言わなくても…
いいやね。

わたしがそっちに行ったときに
いろいろ聞いてあげるから。

* 母とがん * comments(0) * trackbacks(0) * 11:23 *
緩和ケア71日目〜その2
(5月2日に書いています。)
もうちょっと大丈夫…かと期待しつつ、
ダメかもとあきらめつつ…看護してきましたが、
最期は急に逝ってしまいました。

カレンダーを見ると、日曜日が友引でした。
「あんまり、お母さんをこのままで待たせたくないから
 今日、お通夜、明日、お葬式にしよう!」

悲しいけれど、私たちにはするべきことが迫ってきます。
たった71日すごした部屋ですが、すこしずつ荷物も増えています。
まずは部屋の片付けをして、

看護師さんに母の最期のお世話をしていただきました。
「シャンプーとかもしますから、しばらく時間がかかりますよ」

父の時には亡くなると同時にジェットコースターのような目まぐるしさだったので
ビックリです。

しばらくして「どうぞ〜」
母のために義妹と一緒にお化粧のお手伝い。
マスカラやマニキュアまで…
「いや〜どうしょう!こんなこと私、したことないよ!」と声が聞こえてきそうです。

父が亡くなる前に一緒に写真にとった洋服をかけてあげました。

ビックリしたのは、やせてしまっていたので、
どうにかしてあげたいなあと心配していたのに
不思議なことに顔の表情は元にもどって
ふっくらしているのです。
どういうことでしょう。

支度も終わり
先生方や看護師さんが部屋に入ってこられました。
母との思い出を話してくださり
「最期のお顔はその方の生きているときのすべてが出てくると言われていますよ。」
と。
そうなんだ…(ドキっ!私も気をつけなきゃ…)

みんなで
賛美歌を歌いました。

部屋を出て
病棟を降り、
車に乗り動き出すまで、病院のスタッフの皆さんが
見送ってくださいました。

ありがとうございます。

この病院で本当に良かったです。
お世話になりました。

* 母とがん * comments(0) * trackbacks(0) * 10:36 *
緩和ケア71日目〜その1
(5月2日に書いています)
夜中、足の裏をマッサージする。
湯たんぽでだいぶ暖かくなったけれど、
時間がたつと
うっ血してしまう。

足の裏は第二の心臓っていうし、
なんとかがんばれ。

ときどき
無呼吸になる瞬間がある。
1.2.3.…
数えて息を吸い込むとホッとする。

今日の夜勤は担当のAさんだった。
いつもより頻繁に見に来てくれる。
3時過ぎに…
「あれ?何だか脈が強くなってきましたよ。
 頑張ってますね」と。
確かに呼吸も安定している。

朝6時半。
状況が変わらないなら
姪は学校に行かなくてはいけないので、
弟も「いったん家に帰って、車をとってくるよ」と。

一人病室にのこり、
ずっと足の裏をマッサージしながら、
息をしているのを確認。

8時20分くらいか?
息がパタっと止まった。

すぐにナースコールをしてAさんがとんできてくれた。
私は足元から肩の方へまわり
トントンとたたき、
「ちょっと、お母さん!息してないよ!」と言うと
大きく息を吸い込んでくれた。
弟にあわてて電話。
「急いで戻ってきて!」

Aさんも
「よくがんばりましたよね」
「そうですね〜」
主治医の先生もあわてることなく部屋に入ってこられると
「もう…十分がんばったから、ボクはこれ以上がんばれとは言えないです。」

そう…よくがんばった…
でも、なにもみんなが居ないときじゃなくても…
もうちょっと…もうちょっと…

何度も息が止まり、また大きな息で戻ってきてくれて、
そんなことを20分ほど繰り返し

8時50分。
母は旅立ちました。

もう「がんばって」とは声がかけられませんでした。
「よくがんばったね。」

* 母とがん * comments(0) * trackbacks(0) * 10:17 *
緩和ケア70日目〜その4
(5月2日に書いています)
6時くらいに義妹と学校帰りの姪がお弁当を買ってきてくれた。
交代で食べた。
控え室のTVで
「ちびまる子」ちゃんがやっていた。

今日一日、
「今、名古屋」
「今から台北に行きます」
「台北を出ます」
「成田です」と弟からは連絡が入る。

母は台湾生まれで12歳までそこで育った。
その地から弟から戻ってくるのもなにかの縁?なのか…

「もう成田やけんね。もうちょっと待ってね。」
「もう福岡便に乗った頃よ。」と声をかけ続けた。

8時過ぎ…いつものように足の裏をマッサージしようとすると
うっ血していた。
「こりゃ、いかん。」と素人考えでしたが、
姪と交代でタオルを熱くして血行をよくしてみたら、
すこし、戻った。

担当の看護師さんが
「何してるんですか?湯たんぽを持ってきてあげますよ。」と
二つ持ってきてくれた。

夜10時。
私も待ちきれなくて、病棟のエレベータまで迎えに行く。
弟が息せききって、走ってきた。
なんと空港から走ってきたらしい。

間に合ってよかった。
母は「もうすぐryu君もどって来るけんね」という言葉が
聞こえていたハズ、
8時過ぎからずっと目をあけて待っていた。

「ryu君も戻ってきたけん、寝て良いよ。」

看護師さんが
「畳の部屋の家族室を使いますか?」と言ってくれたので
義妹と姪にはそこで寝てもらうことにした。

* 母とがん * comments(0) * trackbacks(0) * 10:06 *
緩和ケア70日目〜その3
(5月2日に書いてます。)

病室につくまで、携帯は見ることができなかった。
メールが入っていることがこわい。

いつものような病棟の病室をあけると、


母は起きていてくれました。
よかった。

昨日の私の電話のあと脈がもとに戻ったらしいです。
母の気力に驚きました。

ほっとすると同時に…欲が出て
「ryu君が戻ってくるまで、待っていようね!」

まったく何てこと!と思っているでしょう。

主治医の先生と話しをしたら
「この状態で1週間とか10日という方もいらっしゃるので何とも断言できないんですよ。」

夜中から付き添ってくれていた義妹、姪、伯母はいったん家に帰りました。
姪は遅刻ですが中学校へ登校しました。

今日は木曜日、お風呂の日です。
看護師さんが
「お風呂どうしますか?入ると暖かくて気持ちがいいですよ〜」と声をかけてくれたが、
…無視?
「入りたくないなら入らなくていいよ!」と声をかけると
…ウン、ウン

意識はあるようだ。
「入りたくないって言ってますから、今日はいいです(笑)」

そうこうしているうちに、伯母がトンボ返りで戻ってきて母に付き添いはじめたので、
私はいつものように洗濯やなにやら…
ってことは着替えたのかな?身体を拭いたのかな?
記憶がなくなってる。

夕方5時半くらいに伯母はまた自宅へ戻った。

* 母とがん * comments(0) * trackbacks(0) * 09:45 *
緩和ケア70日目〜その2
(現在は5月2日。当日のことを思い出して書いておきます。)

つくばからの早朝リムジンバスは4時40分発。
何度このバスに乗ったことでしょう。

乗ると同時に寝ます!
楽しげなおば様方の団体と乗り合わせた時は、
寝られません。

今日は、… 寝ることはできません。

バスに乗ると同時くらいに義妹からのメールが届きました。
「お母さん、頑張ってます!バトンタッチするまで、声をかけます!」

いざというときには間に合わないかもしれない、と常に覚悟をしつつ
その時その時できることをしてきたはず。
でも、イザとなると往生際がわるい私です。

飛行機も非常口に一番近い席に座りました。
CAのお姉さんが、「ニコっ」と笑いかけてくれますが、
口をひらくと涙がでそうなので、横を向いて寝たふり…
でもよほど私の表情が硬かったのか…
「寒いですか、毛布をお持ちしますね。2枚使いますか?」

そろそろ着陸の態勢になり
ちらっと前を向いたら…
「福岡便はよくお乗りになりますか?」
その言葉に、…ダメじゃん!ウルウル

福岡の海岸線が見えてきたらそれだけで…ウルウル
あんまりだったのか
「何かありましたか?」と。

優しい言葉に張り詰めた気持ちがグズグズになってしまう。
「間に合えばいいんですけど」

空港について、タクシーに飛び乗る!
遠回り!
仕方ないけど、急いでくれ〜!

* 母とがん * comments(0) * trackbacks(0) * 09:34 *

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